以下、易占をする人は、
読んでおくとよいと思います。
易の占筮は予言のごとく霊感によって、偶発的な未来の事象を予見し予知するものではない。
運命を前知するとともに、与えられたる運命に対して、いかに正しく対処すべきかを教えるものである。
易の占筮はいわば運命と人間との対決であり、それは同時に運命との調和である。
それがために易では特に「時に中する」ということが強調せられる。
時が時運、すなわち運命を意味することは前に述べたところである。
中とは調和である。
清の恵棟は「時に中することが理解できれば、易は分かったも同然である」と述べているが、「時に中する」とは、自己に与えられた運命に対して、自己の行動が正しく調和することである。
元の呉澄は「時の時たる易より備はれるはなし」といい、明の蔡清も「易の道は只(ただ)是(こ)れ時」といっているが、時(時運)ということは真に易を理解するの関鍵(かんけん)である。
(鈴木由次郎「易経」)
ところで、柳下「易入門」には
このような記述があります。
どの卦爻をえた時でも、いまはこういう時であるということと共に、だからどうすべきか、という教えも示されているので、それを見落さないことが大切です。
柳下「易入門」が、
易経(時中)を前提にした本であるということが、
わかると思います。
得られた卦爻という時運に対して、
卦爻辞の教えに従うことで、
自らの行動を時に調和させる。
同書のサブタイトルには、
「正しい易占の要領」
とあるのですが、正式な易占法は、
易経と占とが一体化しているのです。