易経を読むブログ

易の 辞・変・象・占 について記しています。読書、日記、時事も。無断転載禁止。

義に於いて

過渉滅頂。凶。无咎。
── 大過、上六

この辞につき、
朱子はこう註しています。

処過極之地、才弱不足以済、
然於義為无咎矣。
蓋殺身成仁之事、故其象占如此。
(本義)

(意訳)
大坎の極、兌水の極にいて、
水は深く、大いに過ぎている。
上六は陰爻で才弱し。
大過の難を済(すく)うことはできない。
しかし義において咎はない。
まさに
「身を殺して仁を成す(論語)」
というわけだから。
ゆえにその象占かくの如し。

× × × ×

この爻は、
ディープ・リバーを渡ることが出来ず、
溺れ死んでしまうところです。

しかし、朱子は、
身を殺して仁を成すのだから、
(自分を殺して
天下を救おうとするのだから)
「義において咎なし」
と云っています。

義において、です。

つまり、
「志においては」
「考え方としては」
人から咎められることはない。

けど、
我々小人は当然のごとく、
凶判断をすべきなんですよね。

たとえ、
「義において」咎はなくても、
「占において」は、
咎があるのですから。

× × × ×

(参考)
復三爻の象伝にも、
義无咎也。
(義として咎なきなり)
とあります。