これも、
旧ブログの記事です。
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易占の時に、辞と象と、
どちらに重きをおくべきか。
そういう論点があります。
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「100m決勝、Aは金メダルを取れるか」
を、三変筮で占って、
山地剥の上爻を得たとします。
☶
☷
と、
得られた上爻は、
一陽が先頭を走っている画象なので、
「金メダルを取れます」
と占断しました。
一番高いところに上がっているから、
「金メダル」でもいいでしょう。
たとえば、
こうした読み方は、
易経を全く使わない
‘象占’ と云えます。
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その他、
三変筮においては、
‘爻辞占’ といって、
易経の爻辞を用いる占法が
あります。
(てか、爻辞占がメイン)
けれど、
その ‘爻辞占’ であっても、
象をまったく無視していいかと云えば、
実はそうではないのです。
それは何故か。
引用:
易経の辞と象とは深い関係があって、両者は切り離すことができないものです。(中略)
三変筮の場合は、辞の意を重んじ、時には辞そのままを用い、それに象を併せ用います。
(柳下尚範)
:引用終り
引用:
「卦辞」 「爻辞」 までの 「経」 はもちろん占筮のためのものであった。「彖伝」 と 「小象」 もまだ占筮を主としたものである。だからこそ 「経」 のことばを忠実に解釈しようとしているのである。しかし、ここで見逃すことができないのは、それが 「経」 の単純な追跡だけに終わっているのではないことである。
「経」 のことばの解釈というのは、ただことばの意味を説くというだけのことではなくて、なぜそのことばがそこで述べられているかということを、卦の象や形との関係で合理的に説明づけることでもあった。
(金谷治)
:引用終り
引用:
常に申す通り、易の経文は、各々の卦の意味の一部分を書きあらわしておるものであり、全部ではない。卦の象をみて、いろいろな意味に解釈すべきである。全部の意味は、とうていわずかの文字では書き尽くされぬのである。
(公田連太郎)
:引用終り
・・ということ
だからであります。
占においては、
得られた爻が、
兌☱の上画だとしたら、
(六三、上六ということですね)
辞を見るだけでなく、
兌の象意が過剰に出て凶を招く・・
とか、見たりしますよね。
水風井の上爻なら、
井戸の出口の爻象である、
とか。
五爻を得て、
美辞がかかっていても、
それが坎の主爻なら、
穴に落っこちないよう、
酒色に溺れないよう、
注意しますよね。
そういうことであります。