易経を読むブログ

易の 辞・変・象・占 について記しています。読書、日記、時事も。無断転載禁止。

易占と十翼

易占は、
易経』に依拠した占いですから、
当然、十翼をも読むのがよいです。

はじめ、占いの書としてできた易はまた『周易』とも呼ばれるが、後に易についての哲学的思索が加えられて (この部分を「十翼」という)、ここに易は経書の一つに加えられ 『易経』となった。このような成りたちから、『易経』は占筮の面と、人生いかに生くべきかという哲学の面との二面性をもった不思議な書物なのである。
(鈴木由次郎)

周易の原型を構成する卦爻辞はもと占筮の筮辞であって、断片的なものであり、そこにはなんら統一ある思想の体系を見出すことはできない。しかし六十四卦三百八十四爻の卦爻変化の組織ができ、筮辞が適当にきわめて有意的に配列せられるに及んで、周易の原型が成立したのであるが、周易原型の組織体系を玩味するとき、この組織体系自体の中にはすでに一つの立派な思想体系が存在していることを疑うわけにはいかない。十翼は周易原型の上に形成された儒家周易哲学である。
(同上)

易の占筮は『易経』を拠り所として行う占いで、『易経』には易の全体的構造に対する哲学的基礎づけや、未来に生ずる運命に対していかに処すべきかという人生哲学を含んでいる。これに対して東洋におけるもろもろの占いの多くは、五行の相剋相生の理論を根拠にしているとはいうものの、易のような博大な哲学を背景に持たない。このゆえに古くからもろもろの占いを雑占と称して、易の占筮と一応の区別をしているのである。
(同上)

鈴木先生は、
易占と他の占い(雑占)とを区別していますが、
易占は義理があるから得難いのだと、
小生などは考えています。

単なる可否占ではあっても、
易経』に依拠する限り、
その判断の根底には、
儒家周易哲学が潜んでいるのです。