易占家が『易経』に依拠するにあたっては、
次のように考えればいいと思います。
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『易経』の学問は漢代に始まり、我が国に伝えられてからでもずいぶん長い年代を経過している。占いの書として出発した易が、人間処世の知恵の宝庫ともいうべき『易経』として権威を保つまでに成長したのは、その間、彼我両国の学者の努力によって積み上げられた周易解釈学の賜物によるものといわねばならぬ。
(鈴木由次郎)
*原初は単なる占いの書であった易が、学者の努力によってより高度な『易経』になった。現代の易占は、易機構を備えたこの『易経』に準拠した占をいうのです。原初の繇辞で占う「おみくじ易」ではないのです。
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『易経』を解釈するには、他の経書のように、ただ辞だけを解釈すればよいというものではなく、常に卦爻との関連の下にその辞を解釈せねばならぬ。『易経』解釈の複雑難解なゆえんもまたここにある。
(同上)
*しかし卦爻を見ない人が多いのです。たとえば、貞を卜問と原義で解釈するのは、学者にとっては意義のあることでしょうが、占を行う上においては「知識」として補充すればよいことなのです。それは、まだまだ、卦爻との関連が考慮されておらないからです。占を行う立場からは、卦・爻・辞の原初的な事実よりも、積み上げられた周易解釈、卦・爻・辞の有機的な易システムにこそ、深い意味があるのです。
つまり、大事なのは、
易経そのものを読むこと、
なのです。