風地観の五爻は、
大観在上・・中正以観天下、
といった立派な爻なのに、
なぜ元吉大亨ではなく、
君子无咎といった占辞なのか。
古人に曰く・・
観はもと是れ小人が君子に逼(せま)るの卦、但し、九五の中正、上に在るを以て、群陰仰いでこれを視、聖人以て小人が君子を観るとなすの象を取れり、象はかくの如しと雖も、勢いは実に漸く危うし、故に五・上の二爻皆君子咎なしと曰う、・・然らずんば、則ち九五中正を建てて以て天下に観す、元吉大亨と雖も可なり、豈に咎なきのみに止まらんや。
(項安世 「周易玩辞」)
「象はかくの如しと雖も、勢いは実に漸く危うし」
と云っています。
四陰が九五を仰ぎ見る象をとれば吉だけれども、
四陰が息し九五に逼(せま)る象をとれば危うし、
というのですね。
同じ卦爻であっても、
君子は行動が中正だから咎を免れるが、
小人は勢いに乗じて咎を生じてしまう。
*1
易経に、
君子无咎とあったら、
占においては、
小人有咎と読み替えたほうが、
いいんだよね。
爻辞占といっても、
単純におみくじ易をしていてはアカン理由が、
ここにもあります。
まあ、
易学大講座を読んいる人には、
こんなことは周知のことと思いますが。
(知らなきゃ潜モグり)