高島呑象翁は、
易という書物においては、
死をもって必ずしも凶とは見ていない、
と云っています。
聖人死を以て凶とせず、死、其所を得るを以て、吉と為す、当(まさ)に死すべくして死すれば、死と雖も、猶ほ生るがごとし、卦、之を悦順(よろこぶしたがふ)に取る所以なり、易を読む者、此義に通ずれば、以て生死の道を知るべし、
(高島易断)
死すら、
それが所を得たものであれば、
吉と見ることがある。
そして、
これは私見ですが、
二爻五爻には中土中天の象があって、
「死」を意味することがある、
とそんな感覚をもっています。
すなわち、
死することが中正なのであって、
土や天に帰していくのであると。
たとえば、
離六二の辞は、
黄離、元吉。ですが、
「土中(墓)に入る」とする、
説があります。
「元吉」だけをパッと見て、
自分好みの判断してはマズイのです。
易の占断というのは。
× × × ×
余、思ふに、・・
易でいう「吉」は、
ラッキー。
チャンスの訪れ。
というよりも、むしろ、
行ないが正しい。
まことがある。
天の道に適っている。
ということではないかと。
・・さう思ひます。