易経には、
史実、故事に基づいて、
辞のかけられたものがあります。
- 帝乙妹を帰がしむ(泰六五。帰妹六五)。
- 箕子の明を夷る(明夷六五)。
- 高宗鬼方を伐つ(既済九三)。・・etc.
しかし、
当ブログでは、
易を読むに際しては、
史実に深入りすることなく、
易註釈にあるくらいの史実を理解すれば、
それでよいと考えています。
これにつき、
加藤大岳氏もこう述べています。
易を見るのに史実に即して解する一派もあつて、・・
さういふ史実派の観点から易を見ると、・・
史実の記録だといふ見方も出来るのであつて、・・
然し史実家の力説するやうに、
このやうな史実があつてこそ
爻辞や卦辞もわかるのであつて、
それでなければわからないではないか
と云ふのは非常に偏つた説と思ひます。
爻辞に現れる史実を無視しても、
易は千古に通ずるものだと
私は信じて居ります。
易は易独自の創造的産物ですから、
易自体を理解するのが本筋なのです。
史実に詳しくないから、
易がわからないのではなく、
卦・爻・辞が理解できていないから、
易がわからないのです。