今のブログ以前にも、
ブログを書いていたのですが、
いにしえの記事を少し手直しして、
ここにアップしてみます。
読み返してみると、
若干青い感じが致します。
× × × ×
「易はうらないの術として、
もちろん神秘にかかわるものである」
(金谷治 「易の話」)
これを読んで、小生は、
「そう、神秘なのだ」 と、
イタク思ったのでした。
繋辞伝ニ曰ク。
陰陽測ラレザル之ヲ神(シン)ト謂フ。
神秘だからこそ、
100%当たるなんてありえないし、
もし、100%(90? 80?)当たるのなら、
それはもはや神秘ではない、
科学であるとか、常識なのだと。
そんな風に思いました。
でも、
現在のところ、
気象情報や医学のようには、
常識にはなっていませんよね。
いまだ、世間的には、
オ・カ・ル・ト扱いでしょう。
(昔も。今も。)
まぁ、
現代の気象情報のように、
予見的には当たらないからです。
(君も。僕も。)
医学におけるCT画像に比べたら、
易の観象なんか、とても・・
× × × ×
モンテーニュでしたか、
「占い」は ‘神秘’ を扱うから、
ウソとも、ホントとも、理屈で説明できない。
それゆえ、占者に自信満々に断言されると、
人の心というのは神秘に靡(なび)くものだから、
「そうなのかな」 と信じてしまう、
それ故に現在まで消えずに残っているのだ・・
みたいなことを云っていました。
「占い」というもの、
私は100%当たる。
我こそは秘伝の継承者なり。
特殊能力の持ち主である。
・・等々、息むことなしに、
堅実であるべきだと思うのですが、
いかが?