地火明夷の辞には、
周の文王が出てきますが、
文王は繋辞下伝にも登場して、
数年ぶりに読んでみたところ、
改めてその内容に納得したのでした。
岩波の訳を載せておきますので、
読んでみてください。
易之興也、其当殷之末世、周之盛徳邪。
当文王与紂之事邪。
是故其辞危。危者使平、易者使傾。
其道甚大、百物不廃。懼以終始、其要无咎。
此之謂易之道也。
(岩波易経 下 p.282 )易の盛んになったのは、おそらく殷の末世、周の盛んな徳のきざしはじめた時期に当たるであろうか。
周の文王と殷の紂王の時代の事に当たるであろうか。
だから文王の作ったといわれる易の辞(ことば)には、危ぶみ懼れる感情 *1 がこめられており、みずから危ぶみ懼れる者を平安ならしめ、天命を易(あなど)る者を傾き衰えさせる意図が寓されているのである。
この意味で易の道は甚だ広大であり、あらゆる事態物情に触れ尽くして余すところがない。
みずから懼れ慎む心構えで終始すれば、帰するところ咎なきを得る。
これこそが易の道なのである。
易の作者が文王であったか否か・・
それはともかく、易を作った人は、
憂患を抱く人物であった、
地火明夷のような境遇に置かれていた、
ということは云えそうです。
*2
結局、易の道は、
懼れ慎めば咎なきを得る、
のですが、
天を畏(かしこ)むのか、
それとも、あなどるのか、
易はその二元論であるようにも、
思われます。