自昭明徳。
みずから明徳を昭(あき)らかにす。
── 晋、大象
人は本来、
天からいただいた、
明徳というよい徳を
もっています(性善説)。
でも明徳って、
すぐに光を失ってしまうんだよね。
明の蔽われた状態は、
易卦で云えば、
離下坤上の地火明夷です。
なぜそうなるかと云えば、
人には皆、私の心、私の欲望が、
あるからです。
そうした私心でもって、
明徳を暗ましてしまうんだよね。
実際、
「私が、私が」って、
しょっちゅう思っていますよね、
我々は。
今だけ、金だけ、自分だけ・・
とかね。
しかし易は、
そうした私心を捨てなさいと
教えています。
そして、
天からいただいた
生来の徳を明らかに発揮して、
天に随って生きなさいと。
小生は、晋の大象を、
このように解しています。
× × × ×
(おまけ)
「大学の道は、
明徳を明らかにするに在り」
これは、
『大学』にある言葉です。
「大学の道」というのは、
学校教育でもいいですし、
学問をする、易経などの古典を読む、
でもいいと思います。
それらの目的は、
明徳を明らかにすることにあると。