火地晋の彖辞に
「康侯(こうこう)」とあります。
この「康侯」につき、
民を安んずる侯(きみ)だとか、
史実に基づいた固有名詞であるとか、
その他いろいろな説があります。
しかし、
こうしたことにつき、
易学大講座ではこう述べています。
しかし、
さういふ訓詁的な事は余り穿鑿(せんさく)せずとも、
易経の完成された今日では、さういふ事にかゝはらず、
意味の通ずる限りは成可く抽象的な文字として
解して行く方が広がりがあつてよいと思ひます。
ということで、
大岳氏は「民を康(やす)んずる侯」説を
採用しておられます。
引用文のようなことは、
易経講話でもちょくちょく云っていて、
細かな字句の穿鑿よりも、
易の本質をしっかりつかむべし、
と力説しています。
学者や研究者であれば、
事情が異なると思いますが、
易システムや思想を学ぶ分には、
「訓詁的な事」にはあまり深入りせず、
さらりと通説に従えばいいと思います。
× × × ×
その他、大岳氏の云う、
「易経の完成された今日では、
さういふ事にかゝはらず」
は、いろいろな意味で、
心すべきだと思います。