坎の六四には、
「牖(まど)」が出て来ますが、
これは論語にも登場します。
爻意との関連は別として、
面白い文章なので読んでみます。
伯牛(はくぎゅう)、疾(やまい)あり。
子(し)、これを問い、
牖(まど)よりその手を執(と)る。
曰(のたま)わく、
これを亡ぼせり、命(めい)なるかな。
この人にしてこの疾あること、
この人にしてこの疾あること。
(岩波「論語」p.111)
ぴちぴちとした名文だと思います。
モダニスト・西脇順三郎老人も、
論語文章の文学性を語っていて、
「世界文学クラス」
と称賛しておりました。
訳も引いておきます。
伯牛が病気になった。
先生が見舞われ、
窓ごしにその手を取られた。
「おしまいだ。運命だねえ。
こんな人でもこんな病気にかかろうとは、
こんな人でもこんな病気にかかろうとは」
(金谷治/訳)
孔子は、
命(運命)については、
めったに言及しなかったそうですが、
ここでは云っている。
その点も面白いし、
とても深い感じがします。