古い易書(500円にて購入)を見ていると、
卦爻彖象の意に精通しておらないのに、
すなわち易経をまだあまり読んでおらないのに、
易を談ずる人が、明治三十七年時点において、
多かったという記述がありました。
愚謂ふ(私は云う)。易を学ぶ者多し、然るに卦爻彖象の意に精通し、易を玩ぶ者は蓋し鮮少(スクナキ)が如し。其の意を暁(サトラ)ずして易を談ずる者は、是れ空談にして易の妙境を窺ふことを得べからず。
この本は、
易道の奥蘊、占筮、象数、占法・・
について書かれた本ですから、
「易を学ぶ者多し」 というのは、
「易占を学ぶ人は多いが、卦爻彖象については *1
全然語れないじゃないか」
ということなのしょう。
令和の今も、
事情は同じようです。
「空談」 と云っていますね。
本末転倒といいますか、
本(モト)は語らず、
語るのは末(スエ)ばかり。
*1:「彖象」 というのは、
卦辞爻辞のことだと思います。