易占は偶然の産物である。
どんな筮具、筮法であっても、
偶然に出遇った卦によって占意を
読み解くものである。*1
解釈は合理的になされるべきだが、
易占自体は非合理というべきであろう。
しかし、偶然、非合理だからこそ、
尊くて奥深いものなのかもしれない。
そしてその核となるところが立卦である。
卦を求めるという行為のナント神聖であることか。
易を学んでいるとそんなことを思ったりする。
畏れと合理と。
この二つの精神で易に対してゆきたい。
*1:個人的には、遇卦は「時の断面」であると感じています。