易占には、
「応卦、不応卦」
という論点があります。
得卦が、
占事や占的に応じているか、
あるいは応じていないか、
という問題です。
これは端的に、
「的占」か「誤占」かに、
直に通じる問題でもあります。
より具体的には、
卦に応卦・不応卦というものがあるのかどうか。
もしあるとして、筮して得た卦には必ず応卦が表われるものなのか。
応卦が筮して得られるならば、その表われることに必然性があるのであろうか、またこれらの論議において筮法はどのように関係するものなのだろうか。
(柳下尚範「易─占法の秘伝」)
ということであります。
そして、
著者の柳下先生は、
最終的な結論は得ておりませんが、・・
と、未だ解決しておらない
問題であるとしておられます。
易占家にとっては困ってしまう、
そして、これは、
卜術における大問題なのですが、
たとえば応卦というものを
否定してしまっては、
易占は成り立たないことに
なってしまいます。
私見ですが、
こういう問題は、
「神秘」の問題であるとして、
保留にしておけばよいと思うのです。
(実際、合理的に説明できない)
易占を行なう者としては、
単純素朴に易を信じればよい、
人は本当に困った時には、
理屈抜きに天や神や仏など、
目に見えぬものの存在を感じるものである、
未曽有の災害に遭った被災者が、
天を仰ぎ手を合わせるように・・
と、これでよいのではないかと。
柳下先生は、
同書でこう述べています。
私達占法家としては、筮して得た卦は必ず真実を告げている、そのように信じて占考判断をすることが大切であると思います。
まさに、
「信じる」ことの大切さ、
ですね。
(易は「ロマン」です)
そして、
「不応卦」「誤占」に対処する
方法論として・・
- 占事を明確にして、
- 筮前の審事を綿密に行い、
- 占的を絞り、
- 筮法を選択し、
- 得卦し、
- 占考・占断する。
・・これが重要であると。
我々が出来ることといったら、
誠心誠意、卦を求めることと、
こうした手順を厳密に遵守すること、
これに尽きるのです。