乾為天の第三爻は、
岩波易経に、
下卦の極、警戒を要する危位。
とあるように、占においては
よい判断の出来ない所です。
(「過剛不中爻」ですしね)
けれども、
しみじみ九三の辞を読んでみると、
実に含蓄のある辞(ことば)であると、
思えてきます。
爻辞の意図は、
このように悪い状態であっても、
それに対処する人間の態度如何によっては、
災厄を受けないで済ませられる、
というのです。
× × × ×
終日乾乾。終日、乾乾。
夕惕若。夕べに惕若(てきじゃく)。
厲无咎。厲うけれども咎なし。
(私訳)
一日中、
怠ることなく勤め励み、
日が暮れたら、
神でもいいし、天命でもいい、
大きな存在を畏(かしこ)んで、
あるいは易経や論語などを読んで
身をつつしむでもいい、
そのように暮らしておれば、
とかく人生というものは危ういものではあるけれども、
咎を免れることができるだろう。
× × × ×
昼のうちは一生懸命に働いて、
日が沈んだら神さまをかしこむ・・
卦は乾為天ですから、
天の道に従って、あるいは、
太陽の運行(=時)に従って、
生きておればよいのである・・と、
教えているのですね。
ここには、
聖人の深い深い思慮があると、
思われます。
「天をかしこむ」
「身をつつしむ」
という尊い徳は失われ、
為政者にして、
「今だけ! 金だけ! 自分だけ!」
だから、ねぇ・・