地火明夷の辞には、
文王と箕子が登場しますが、
箕子の方は論語にこうあります。
微子(びし)これを去り、
箕子(きし)はこれが奴(ど)と為(な)り、
比干(ひかん)は諫(いさ)めて死す。
孔子の曰わく、殷に三仁(さんじん)あり。〔殷王朝の末に紂王が乱暴であったので、〕
微子は逃げ去り、
箕子は〔狂人のまねをして〕奴隷となり、
比干は諫めて殺された。
孔子はいわれた、
「殷には三人の仁の人がいた。」
(金谷治 訳)
地火明夷の六爻でいえば、
箕子は五爻、紂王は上爻
に配されます。
「箕子は〔狂人のまねをして〕」・・
明夷の病占に「発狂」という
占意がありますが、
坤が離をやぶる卦ゆえに、
離の心が坤で暗いというのです。
箕子は狂人のまねをして(佯狂・ようきょう)、
すなわち離下坤上の形を上手に活用し、
自らの明徳をつつみかくして(韜晦・とうかい)、
暗黒の世にあって艱貞を貫いたのです。