易の研究はかくあるべしと、
加藤大岳氏は記しています。
(易の研究を大別するならば)
一は易を思想的、哲学的、倫理的な立場に於て研究しようとするもの ── 即ち、学として、教へとしての易に対する研究であり、一は易の機構の微妙なるを占断の用に立て、自他の運命開発に資せんとするもの ── 即ち、術としての易に対する研究であるということが出来る。
(中 略)
易を中心にして対蹠的(正反対)な立場を取りつゝある学と術とを融合せしめ、完全にこれを統合してこそ、易に対して最大の理解を示すものと云ふべきであるが、・・
(易学病占)
つまり、
学と術を両方学んでこそ、
真に易を理解出来るというのです。
このことは、
易占の理解においても同様で、
易経を読むことが不可欠であることは、
易学大講座を読んでおられる方には、
周知のことでありましょう。
特に大岳氏の易占は、
学をベースとしそれを発展させたものですから、
巷の雑占とは大きく異なるという、
特徴を有しているのです。
因みに「学」には、
・筮辞本来の意味を追求する研究。
・新たに出土した易資料に対する研究。
もあるのですが、易占目的であれば、
儒家解釈によって高度な卦爻の変化組織となった、
通説としての易経を主に学べば
よいと思います。
これは、
古い医学資料が発掘されたからといって、
現代医学を原初の形に戻すことはない、
ということと同じです。
原初の単純素朴な占いに戻すのではなく、
高度な思想体系の上に乗っかった易占が、
大岳氏の易だからです。