本田『易』を眺めていると、
こんな文章がありました。
東晉(四世紀)の名僧、
慧遠(えおん)は
「易は感応ということを本体とする」
といった(『世説新語』文学)。
恐らく仏教的な深い意味を含ませて
言っていると思われるが、
発想はこの卦(沢山咸)に
基づくであろう。
易を一言でいえば「時中」である、
とは恵棟の言葉ですが、
この慧遠というお坊さんは、
「感応」が易の本体である、
と云っています。
咸の彖伝には、
「天地感而万物化生」
とありますから、たしかに
そうとも云えるのでしょう。
感応の理を説くこの卦は、
下経の首(はじめ)ですから、
それだけ陰陽の感応ということは、
重要なのでしょう。
時中もそうですが、
易は感応という言葉によって、
直接的に教えを垂れるのではなく、
感応という概念を用いることで、
卦爻を説いているのです。
× × × ×
話は変わりますが、
易の384爻を一言でいえば、
それは、
「自天祐之。吉无不利」
であると呑象翁は云いました。
「天祐」は、
大有上九の辞(ことば)ですが、
「易は窮まれば変じ・・」という、
易の原理にも通じています。