高島呑象翁は、
以下の卦・爻を得た際には、
必至純一を以て神明に祈るときは、
福を受けられるとしています。
按ずるに、
凡そ人の困窮厄苦に遇ふや心志純一にして、
它(た)を視るに遑(いとま)あらず。
故に必至の純念を以て神明に禱(いの)るときは、
同徳感応して実に多福を受る者なり。
然れば必至純一の四字は
実に鬼神に交わるの捷径(ちかみち)なり。
易の道たる、
天地に法象し、鬼神に交接するを以て常とす。
経伝の文中、
必至純一にして鬼神を禱祀(いのるまつる)し、
実に多福を受るの徴(しるし)も亦
尠(すくな)からざるなり。
随の上六の辞(ことば)、
観、損、萃、鼎の彖辞、
渙の大象、
升の六四、益の六二、困の九五、既済の九五、
及び此爻(困の九二)の辞等、
皆比喩を以て仮説する者に非ず。
其の卦、其の爻、実に享祀(きょうし)して
福(さいわい)を受るの義あるなり。
(高島易断)
朱字の卦・爻が得られたら、
神仏を祀(まつ)ることで、除災招福が
可能であるとしています。
これに従うかどうかは、
各人にお任せしますが、
思想的、精神的に深いところであるということは、
間違いないでしょう。
こうした見方は、
三変筮でなければ、
出来ないのです。