その聚(あつ)まる所を観て、
天地万物の情見るべし。
(沢地萃、彖伝)
× × × ×
これを程伝では、
こんなふうに解説しています。
萃の理を観て、
もって天地万物の情を見るべきなり。
天地の化育、万物の生成、
およそ有るものは皆聚まるなり。
有无・動静・終始の理は、
聚まって散るのみ。
ゆえにその聚まる所以を観れば、
天地万物の情見るべし。
むちゃくちゃ ‘哲学’ ですネ。
「有无(うむ)・動静・終始の理は、
聚(あつ)まって散るのみ」
これなど、繋辞上伝の、
「精気は物を為し、遊魂は変を為す」
を思わせますが、
こんなふうに陰陽の理を窮めれば、
天地万物の盛衰、人間の生死のことまでも、
ちっとはわかるようになる。
うらないのテキストだった易に、
孔子が高度な伝をつけられ、
程伊川は更に深遠な解釈を施した。
うらないを超えた、
易の深さです。