ある俳句の批評文に、
こんなことが書かれていた。
春の句は
とにかく美しさが表面的になって、
味の浅いものになりやすいが、
この句は深い美しさを湛えて、
いわゆる底光りがしている。こういう場合、
花とか鳥とかを描くと、
見た目には綺麗な句が出来るが、
心持はかえって浅くなり、
余韻を失う結果になる。
簡潔にして深い趣をもつ句が、
いつまでも愛誦されるのである。
易の占例文でも、初めのうちは、
生卦法などの華麗な占法を書いたりするけど、
上級者になると アッサリ 易経の一句を使って、
簡潔&深い趣の占をしています。
実力者でないと、
その占考過程が見抜けないような。
私見ですが、
俳句というものは、つくづく
易占に似ていると実感します。
- 俳句も易占も「型」が大事。
- 俳句(季語)も易占も春夏秋冬、天の時と合することが理想。
- どちらも論より実践によって体得していく。
- 俳句、易占は奥深く、行けば行くほど奥また奥が見えて来る。
- よい俳人は歳時記、よい易者は易経の理解が深い。
ざっと思いついたものを掲げましたが、
勉強方法も両者は似ていると思います。
俳句の例に倣えば、
易占においても初学のうちは
「型」に習熟すべきです。
独自性は「型」を マスター してから。
才能があるか否かなんて、
こうした修練のかなり先の話です。