乾為天の上爻は
「悔いあり」なのに、
坤為地の上爻は
「戦う」である。
陽が極まっても
悔いるだけなのに、
陰が極まれば
それは戦いである。
これはどういうことか。
愚生未だ結論をもたないのですが、
これもやはり易は陽を主として
考えるからか。
陽が極まっても
陰は出てこないが、
陰が極まって、
陽に疑われるようになると(偽陽)、
陽が出て来て相争う。
陽が極まることよりも、
陰が極まった方が、
天地が争うような大合戦となる・・?
世の中に陰の要素が減少し、
陽と偽陽が目立つということは、
それは戦争の兆しなのか?
やはり、
しなやな陰の要素は必要である、
人類の安寧のためにも。