昭和初期発行の書籍の巻末に、
易経の広告ページがあって、
このようなことが書かれてある。
易に関する著書は古来
汗牛充棟も啻ならぬ有様であるが、
多く考証訓詁に終るか、
単なる入門書案内書に過ぎぬ程度で、
真に易に依つて生き、
易を楽しんで玩び、
その心境と智識とから易を説いたものは
殆んどないと云つて宜しい。
昭和初期と令和の現在においても、
易書の出版事情は変わらないようです。
「多く考証訓詁に終る」
これは学者が書いた易経本。
「単なる入門書案内書に過ぎぬ程度」
これは超訳、わかりやすい、人間学・・
などの易経と申せましょう。
愚生が思うに、
学者が書いた易経は、
資料集として重宝しますし、
超訳・・などは、身近な人生訓、
東洋流英知のマニュアル、
として多くの人に読まれれば、
それはそれでよいと思います。
しかし、
幽玄美妙なる卦爻辞を味読したい、
64卦384爻の構造・神秘に触れたい・・
といったような要求にこたえる本は、
本当に、本当に、ないものである、
ということは、これは確かに、
ホントウであると思います。
おそらく、
書ける人がいないのだろう。