以下は、荒川洋治氏による、
ある翻訳書のレビューです。
「訳も注解も労作であることはまちがいないが、
外国語に通じた専門家がそのまま詩の訳者、
理解者となるのはむずかしいことを
あらためて知らされる機会となった」
愚生もそう思います。
「労作」だけれども、
「名訳」ではない。
そういうことがある。
一流の経歴をもち、我が国における
その分野の第一人者による翻訳なのに、
「入試の英文和訳かい」と思われる
小説や詩の翻訳文があります。
一流の学者であることと、
一流の翻訳者であることとは、
別のことなのでしょう。
翻訳というものは、
文法や字義、学説によりて、
正確緻密になされるのでしょうが、
それだけではどうしても
よい翻訳文とはならない。
やはり、
文学的才能がなければ・・
しかし、
大学院も含めて、
学校には「文学」はないと思われる。
あるのは
「語学」と「学問」だけ。
愚生はそう思います。