ブログでも、tweetでも、
そこに書かれてある易の記事は、
その人の限界を示しています。
辞をよく読む人は辞の解釈をするし、
爻象についても独自の文章を書く。
まだ入門者ならば易書の紹介が多く、
学びの方法論にこだわったりしている。
何についてどの程度書いてあるかを見れば、
その人の易理解の深浅、関心の向かうところが
如実に見て取れるのです。
たとえちょっとしたtweetであっても、
文章はその人の頭脳活動そのものであるから、
易に対する見識、卦・爻・辞を扱うセンスが、
明確に垣間見えるのです。
もしかしたら、
卦・爻・辞を読むということは、
詩文を読んだり通常の言葉を読むことと、
実は同じことなのかも知れません。
卦・爻・辞も、通常の言葉も、
どちらも曖昧模糊とした概念、情動、象などに、
形を与える記号なのですから。
そうして、
これらの記号の背後には、
言霊(ことだま)やら、易神が、
ちらちら漂っているのです。