火沢睽の三爻を得た場合、
略筮を用いる人は、
どう判断するのだろう。
たとえば、
「新たに〇〇してよいか」
を占ったとしましょう。
これが三変筮なら、
爻辞が・・
見輿曳。其牛掣。
其人天且劓。
无初有終。
・・ですから、
髪切りや鼻切りの刑に遇うがごとく、
将来傷を受ける象ですから、
積極的な行動はNGですよと、
びしっと占うことになります。
これが略筮ですと、
之卦が火天大有ですから、
最終的な吉を見て、
辞の「无初有終」をもって、
初めは凶だが最後は吉なので、
苦労はあるけど〇〇してOK、
と占うのでしょうか。
当ブログでは、
三変筮を採用しておりますので、
この略筮の判断には、
大いに違和感があるのです。
無条件に、
火天大有を之卦とする、
その根拠は何なのだろうと。
では、
三変筮における火天大有を、
どのように扱うかと云いますと、
「現状を大いに有(たも)つべきである」
「無理に進むと日没になりますヨ」
と、睽の三爻に伏している、
教えと捉えるのです。
さらに、
「无初有終」の辞は、
現在、妨害に遇っているなら、
この辞をもって先に希望を見出す・・
というふうに辞を読むのです。
つまり、
将来、睽運に遭遇するのか、
現在、睽運に遭遇しているのか、
の違いです。
ですから、
これから新たに始める占ならば、
「无初有終」の辞は、
特に見なくともよいのです。
あえて見るなら、
「无初」だけをもって、
将来、支障苦労が生ずると、
辞を読めばよいのです。
難しいでしょうか?