古書で占筮関連を読んでいると、
やはり「筮竹」を以て数を立てて、
卦を求めるのが本流だと思った。
それが正式な立卦法なのだろう。
そう思った流れをかいつまんで記す。
× × × ×
如何にして将来の変化を知り、
その吉凶の判断ができるか。
↓
その変化の生ずるのは、
陰陽二元の変遷推移によるのである。
↓
この陰陽の二元が錯綜して、
易(卦爻)の表に色々の変動を生じて来る。
↓
これによって
将来の吉凶を判断するのである。
↓
易そのものの変化が即ちこの宇宙現象で、
その現象たるや常に流転極まりない。
↓
しかし、
その変化の中には一定の法則が有って、
不規律無秩序なものではない。
↓
そこで、如何にして、
この宇宙現象を易に移して来るか。
↓
それは、
五十本の筮竹(蓍)によって、
これに宇宙の現象を移すとでも
いふべきであらう。・・・
× × × ×
このように見て来ると、
正式な筮具は筮竹(蓍)でなければならず、
そしてそれが「儀」たりうるのである、
とそんなふうに思いました。
宇宙と人間との間を、
蓍(筮竹)という神妙なる筮具によって、*1
媒介するのである。
小生個人は、
三変筮中心なので、
一振りで宇宙の変化の断面を切り取る、
大げさに云えばそんな思いなのですが、
そうした感覚をもって、
「骰子」で卦爻を求めています。
筮操作としては、
正式ではないのだけれど。
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(おまけ)
「蓍之徳円而神」について。
蓍の霊妙なる働きは、
天のようにして、神のごときである、
と。
この文句につき、
公田連太郎翁はこのような説明を
付けています。
蓍を数えて易の卦を定めるのに、
いかなる爻ができ、いかなる卦ができるのか、
実に千変万化であり、変化窮まりなく、
人間の思慮分別では、とても測り知る
ことはできないのである。
(易経講話)
*1:蓍之徳円而神(繋辞上伝)。