柳下「易─占法の秘伝」に、
谷川龍山の文章が引用されていて、
それに対する柳下先生のコメントに、
興味を覚えました。
まず、谷川龍山の文章。
其の筮法に於ては羲皇(伏羲)より周に至るまで変革あることなし、其の法は孔夫子繋辞伝に述べたまうものこれなり、後世略筮と云えるものあるに対して、繋辞の筮法を指して本筮と称するなり。(以下略)
(「周易本筮指南」)
繋辞伝の筮法を本筮と云い、
本筮は昔から筮法の主流であった。
そして略筮は本筮の後に生れた・・
ざっとこういう内容ですが、
柳下先生はこうコメントしています。
右の文中に、「後世略筮と云えるものあるに対し」云々とありますが、略筮法について、「もしかすると、本筮法より先に行われていたことのある筮法であるかもしれませんね」と、何かの時大岳先生がいわれたことがありましたので、参考までにここに記しておくことにいたします。
大岳氏のこうしたつぶやきは、
何かの資料に基づいたものではなく、
易者としての勘なのでしょう(たぶん)。
しかし、
詩人とか、易者の勘というのは、
馬鹿にできませんからね。
史実としてではないにせよ、
この発言には何か意味のありそうな、
そんな感じがいたします。
柳下氏もそう感じたからこそ、
これをここに記したのでしょう。
小生が疑問に思うのは、
柳下氏は「略筮法」と書いていますが、
これは、もしや、
今の「三変筮」という意味での、
「略筮法」なのではないか・・
もし小生が、
大岳氏の受講生だとしたら、
必ずや、このことを、
聞いてみたいのですが。
しかし、
両先生がいらっしゃらなくなった今、
永遠の謎ということに
なってしまいました。