坎為水の中には、
離の象(二三四五)があり、
離為火の中には、
坎の象(二三四五)がある。
これは、
易占家だけの、
取象なのではなく、
古の易学者も、
こう見ているのです。
坎中に離あり、
自牖(坎六四)は離の虚明の象なり。
離中に坎あり、
沱若(離六五)は坎の水の象なり。
戚嗟若(離六五)は坎の心憂の象なり。
(離の)九三の大耋之嗟は
死生を以て憂となすものなり、
まさに憂ふべからずして憂ふ、
故に凶なり。
(離の)六五の戚嗟若は
君位に居りてよく憂ふる者なり、
まさに憂ふべきところを憂ふ、
故に吉なり。
(本義通釈)
出典:新釈漢文大系「易経」
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坎中に離あり。
離中に坎あり。
水の中に火がある。
火の中に水がある。
まるで、
詩の一文のようですが、
六画卦をつぶさに見れば、
確かに、
坎卦の中には火の形があり、
離卦の中には水の形がある。
易のこういう所って、
なんとも不思議です。
「離中の坎」は、
柳下先生がどこかで、
言及していたように思います。