坎五爻の象伝には、
坎不盈、中未大也。
とあります。
そして、
中未大也につき、
新釈漢文大系「易経」には、
このような註釈が引かれています。
五は剛中を以て
坎(あな)に盈(み)つる能はざるは、
中(ちゅう)の未だ
大いならざるを以てなり。
然らば則ち九五は、
大有の六五の反つて大中(彖伝)と
称するを得るにしかざるか。
曰く、大有は唯だ一陰のみにして
五陽これを宗とす、故に五は
陰なりと雖も大中となすなり。
坎の二陽はその勢いすでに分かれ、
又倶(とも)に陥を受く、故に五は陽なり
と雖も未だ大いならざるなり。
未だ大いならずと云ふは、
時ありて大いなるなり。
未だ大いならず、故に盈たず、
時ありて大いなれば則ち
平らかにして盈つ。
(趙汝楳「周易輯聞」)
時なるかな。時なるかな。
易は時を得なければ、
思うように動けないのです。
五爻といえども、
まだ坎の最中に在るので、
武器である剛中という才徳を、
十分には発揮できない。
易を学ぶ人は、
このような文章に慣れると、
よいと思います。