妄ならば災いに遭うことは当然ですが、
人は、時に、妄でもないのに
災いに遇うことがあります。
「无妄の災い」 です。
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凡そ人の災害に遭ふことは、すべて其妄意妄行なるより起ることにして、これ当然の定理、免れ得ること能はざるの者たりとす、又无妄にしても災ひに遇ふこと無きにも非ざるなり、これは天運の厄会にして、偶然(たまたま)有る所のことにして、これ所謂无妄の災ひなる者なり、
(中州・周易釈故)
暴風とか、洪水とか干天とか、さういふものは天の方では何の気なしに起してゐるのでせうが、人間や動物の側から言へば災難です。
(易学大講座)
然れども(无妄の災いは)意の及ぶ所に非ず。己に反(かえり)みて无妄ならば、これを順受せんのみ。
(易経講話、引周易述義)
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たとえ自分は正しく无妄であっても、
- そういう時である。
- たまたま居る位地がよくなかった。
ならば、やはり災難には遇うのです。
大岳氏が云うように、
天にとっては自然の巡りであり、
それを人間が災難と感じるだけだから・・
述義が云うように、
自分が无妄でさえあれば、
人為的にジタバタしないで、
素直に受け入れるしかないのか。