易経を読むブログ

易の 辞・変・象・占 について記しています。読書、日記、時事も。無断転載禁止。

論文を読んで

根本通明氏の論文を少し読みました。
あまり難しくないところを引用してみます。
訳文は田上泰昭氏による。

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人間としてのあるべき道をはっきりさせ、世の中を営み治めるには、易こそが最も大事なものである。この意味で後漢の王鳳は称賛して、「易経を読まない者には、朝廷でのお勤めはできない」 といっている。魏の時代にも同様であったし、唐の虞世南になると、「易を読まない者には、宰相になる資格はない」 といって称賛しているのである。

唐の虞世南の言葉は、
岩波易経にも引用されていますから、
ご存じの方も多いでしょう。

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漢魏以来、易について説く学者は、数百、数千にものぼるが、象を扱う人々は、原理的なことでの深さを欠いて思索にとぼしく、十干を八卦に分納したり、卜筮予言などの、見識のせまい、みみっちい方向に流れてしまうし、一方、原理的な方面を大事にする人々は、卦の象数の世界に対して一顧をもくれず排除してしまって、根拠もないでたらめな談議におちいってしまっている。易の書としての原理も本義も、そのすべては象にもとづいてでき上ったものである。象を無視して易の原理が得られるはずはない。

  • 卜筮派は、思索にとぼしく、見識のせまい、みみっちい方向にながれてしまう。
  • 義理派は、象数を排して根拠のない談議におちいってしまう。

両者ともに、もっと象を用いて易を原理的に深めるべきだ、
と云っています。

繋辞伝にこうあります。
「易とは象なり。象とは像なり」

易の卦というのは象徴であり、
物にかたどられた仮象なのである。

ゆえに、
「象を無視して易の原理が得られるはずはない」
と、アイなるわけです。

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余談ですが・・

根本氏は、高島呑象翁から、
「高島易断」 の共同執筆の依頼を受けたのですが、
のらりくらり、その依頼をかわしておりました。

小生思うに、根本氏は、
「占い」 に係わることが嫌だったのではないかと。

上記の文章から、
卜筮予言に対して批判的だったことが、
うかがわれるからです。